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ビスタベリャの最初の教会

 

ジュゼップ・マリア・ジュジョール・イ・ジベール

 

底本:1923年2月にジュジョールが執筆し、『ロ・ミサジェー・ダル・サグラット・コー・ダ・ジェズス』第381号(1923年3月)に発表した報告書(memòria)。

本訳はカタルーニャ語原文から直接訳出したものである。1974年刊のスペイン語版(Flores / Jujol 子息)は抄録で、第1・2・12・13節と末尾の頌栄を欠く。

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1. 敬虔なるカタルーニャ人よ、喜ぼう

 

葡萄酒(聖体の形色)の多く穫れる土地の、海からさほど遠くない心地よい一角に、このほど小さな教区教会が花開いた。これまで一度も教会を持たなかった集落においてである。この新しい船は、イエスの至聖なる御心を守護者として戴くこととなる。御心は、この新しい聖櫃に宿ろうとされることで、私たちの土地にまた一つ言い尽くしがたい誉れを与えてくださるだろう。


 

2. 村の起源

 

ビスタベリャは、今も残る三軒の家に始まる。共通の稜堡で結ばれ、松林と稲子豆の木と葡萄畑のただなかに要塞をなしていた。入口の門が取り払われた今、その稜堡は「閉じた通り(carrer clòs)」と呼ばれている。

 

耕地を広げるため、また日雇いや小作、折半小作の者たちを住まわせるため、人々は三軒の家のまわりに家を建てていった。こうしてビスタベリャは、タラゴナ平野のラ・セクイタ村の区域内に生まれたのである。


 

3. 教会をつくる

 

年月が過ぎ(百年以上になる)、ビスタベリャは自前の学校を持ち、いくつかの物質的な必要も満たした。そしてより大きな事業として、後日のために取っておいたのが教会をつくることであった。

 

村に最初の教会をつくるのを見るのは、めったにないことである。既存の教会を建て替えたり改修したりすることはいくらでもあるが、最初の一つをつくるのは、遠い昔の話になってしまった。

 

教会をつくることは天使の仕事であり、預言者たちの幻によるものである(ゼカリヤ書2章、ルペルトゥス・アバスの註解、および黙示録ほか)。それゆえ、この目的のために集まったビスタベリャの善き人々は、どれほど喜ばしいことか! その魂となったのは土地所有者ドン・パラ・マリャフレであり、大いなる後援者は、ビスタベリャの母村ラ・セクイタの主任司祭ムッセン・ジュアン・リュベット神父である。霊の子らに対する善き父のように、彼は人々をまとめ、大司教座へと導き、自ら唱えうるはずのあらゆる異議を放棄した。自分の金銭をもって助け、父としての、さらには労働者としての働きをもって助けた(私は彼が工事の滑車の綱を握り、厚板を運ぶのを手伝っているのを見た)。まことに使徒的な人である。


 

4. 手立てを探す

 

村人たちはマリャフレに言っていた——「あなたが私たちのために教会を建ててくださらなくては」。彼は賢明にこう答えた——「できたとしても、私はそうしません。皆の仕事であるべきです。だからこそ、皆に手伝ってほしいのです」。

 

そのようにして彼は建築家を探し、その選択は私の上に落ちた。工事のあらゆる要素を調整するのに欠かせない図面が(図面が予見しうる限りにおいて)引かれると、人々は棟梁を探した。あれこれ当たってみた末に、ついにイエスの聖心が私たちの人を送ってくださった。ジュゼップ・ブルリェスとその息子ラモンである。そして言っておかねばならない——彼らは実に見事にやり遂げた、と。

 

工事には賦役が用いられた。人足と荷車の日当は、聖心がビスタベリャに持つ友人たちが自ら稼ぎ出したのである。


 

5. 続き。石を寄進する

 

工事現場に近く、しかも同じ高さにあるマス・ダ・マルカデーの所有者は、自分の持つ石の山から、私たちが必要とするだけを提供してくれた。大きな城壁のように見えたその山に、私たちはずいぶん大きな穴を空けたものである。

 

この石は、葡萄畑を耕し植えつけるあいだに見つかる。取りのけて積み上げ、畑の土留めや、あの見事な空積みヴォールトの小屋(バラカ)をつくる。そうでなければ、仮の置き場として面を揃えた石堆にしておく。石灰質で、そのように土のなかで形づくられたものだから、より大きな岩の破片ではなく、それぞれが完結した個体である。丸みを帯びた面をもち、割ってみると同心円状の層からできている。二つの寸法が優勢で、したがって平たい。私たちはこれを煉瓦のように用い、おかげで何千もの煉瓦を節約しながら、壁、アーチ、装飾稜、樋あるいは吐水口、小さな空間を覆うまぐさをつくった。


 

6. その基は聖なる山々にあり(FUNDAMENTA EJUS IN MONTIBUS SANCTIS)

 

選ばれた場所には、私たちのタラゴナ平野の岩の芯が、ちょうど地表すれすれに顔を出している。聖心はよくぞ、あの埋もれた山の頂を選ばれた。それが私たちの基礎となる。


 

7. 礎石

 

なんという心打つ簡素さで礎石は祝別されたことか! 主任司祭は祭服をまとい、必要最小限の人々に付き添われ、太陽の天蓋の下、野の完全な静寂のただなかで、片手に儀式書を、もう片方に聖水散布器を持ち、御子の聖心に捧げられて生まれようとする、あの素朴な石の小城のために、神の祝福を願った……


 

8. 建物を述べる

 

中世の教会と同じく、その外観は構造の当然の帰結であり、必要なものだけに切り詰められた構成要素に良い形が与えられることによって美しくなる。壁は石灰モルタルで積み、あの地方の習慣である泥は用いない。こうすれば塗り壁が省け、より堅固な外観になる。ヴォールトは平瓦を重ねたもの、柱は普通の煉瓦だけでできている。開口部のガラスの代わりには〈光の石〉、サレアルの雪花石膏を用いた。

 

教会は正方形である。四本の柱を含み、そこから、椰子の葉のように、すべてのアーチが立ち上がる。その背にヴォールトが、高さを違えて段状に架かって荷重をかける。おかげで応力は、この構法で普通用いられる補正手段(フライングバットレスや尖塔など)なしに地面まで伝わる。平面ではアーチが、主として正方形の図形と、いくつかの三角形とを描き出す。アーチがヴォールト面の切れ目を解決してくれるので、ヴォールト面はごく平滑なままで、装飾を受け入れやすい。切れ目が過度であれば装飾は妨げられ、そのうえ補助的な部材をより多く要しただろう。

 

ゴシックにおいてもそうであった。ゴシックとは、ビザンティンのいくつかの解決を体系的に特殊化したものである。こうして私たちは実践のなかで、この東方の母なるもの——ビザンティンのキリスト教建築の声のほうをこそ信ずるに至った。それは家系樹の幹であり、その枝にロマネスクが咲き、そこからゴシックが咲いたのである。

 

ヴォールトのあの平滑な面は(神がこの小さな仕事を無事に終えさせてくださるなら)、石灰に描く簡素で色鮮やかな絵のために役立つだろう。星々のあいだを飛ぶ天使たちの姿が、次の言葉をめぐって描かれる——Gloria Patri, et Filio et Spiritui Sancto(栄光は父と子と聖霊に)。

 

私たちの小さな教会には扉を守るポーチがあり、そこから洗礼堂へ直接つながる。バシリカから挿し木されて根づいたキリスト教建築の、もっとも小さく野の花のような一輪である。


 

9. 締めくくり

 

くどくなるので建物の全体を記すことはしないが、主廊と三つの礼拝室(主祭室を含む)、二つの告解室のための小廊、聖具室、小さな倉庫、便所があるとだけ言っておこう。いつの日か、聖具室の上に司祭館をつくることになるだろう。


 

10. 屋根

 

この教会は屋根を二重に備えている。一つはヴォールトで、これが支えると同時に内部の空気の塊を限る。もう一つは平瓦を重ねた敷き層で、前者の上に載り、湿気の冷たさを受け、水を流し、外気の寒暖の変化を直接受ける。両者のあいだには断熱の空気層が残る。硝石がヴォールトに吹き出して装飾を損なうことはないだろう——バルセロナのあの美しい大聖堂で起きたようには。あそこでは第二の屋根を待つあいだに、主ヴォールトの要石を取り巻いていた見事な葉飾りの冠が失われてしまった。


 

11. 工事の話はこれまで。鐘楼

 

工事のすべてを語るには長い会話が要る。ただ一つ付け加えるなら、もっとも高いヴォールトの上(四本の柱のあいだ)に鐘楼が載っている。鋭い三角形をなす二枚の面からなり、それらは高いところで石の十字架の下に結ばれる。稲子豆の木々の上に、そしてビスタベリャがあるとは思いもよらぬ場所からも、聖心の新しい小さな教会の尖塔が、カンプの空の青——カタルーニャでもっとも青く美しい空——を背に白く光るのが見える。


 

12. 結び

 

教会は成った。まもなくそこで聖心は礼拝されるだろう。いつものように、ユダの獅子が勝利したのである。

 

タラゴナ大司教ビダル枢機卿猊下は、善きイエスの新しい家を世話する司祭の必要を、すでに手当てしてくださった。いくつもの試練を経ねばならなかった。試練とは、神が魂の心の純度を試されるるつぼである。そして御恵みによって、それらは過ぎ去った。


 

13. 聖心に栄誉を捧げたいのは誰か

 

自治体ですらない一集落の住民たちの努力は、英雄的である。神は百倍にして報いてくださるだろう、神のなさりようで。これに加わろうという方があれば、神の御前で栄光に包まれるだろう。そして私たちは、ドームに四つの窓を開け、吊りランプと燭台を据え、四本の柱に十二使徒の像を、さらに祭服や小さな調度を置くことができる。寄進(金品を問わず)については本誌編集部が取り次いでくださる。


 

讃美と栄光

 

父と聖霊に、そして至純の子羊なる御子に、とこしえに栄光あれ。御子のうちには、私たちのためにいつも慈しみ深くとりなす至聖なる御心が鼓動している。友よ、教会がまるごと天にある幸いな日々を待ち望もう。私たちが皆そこに住まう者となりますように。アーメン。

 

ジュゼップ・マリア・ジュジョール・イ・ジベール

 

建築家・教授

 

バルセロナ、1923年2月


 

訳注

 

  • 底本は1923年の正書法制定前のカタルーニャ語で、古い綴りがそのまま保存されている。訳出はカタルーニャ語原文から直接行った。博士論文所収の日本語訳は英語版モノグラフを経由しており、本訳とは系統が異なる。

 

  • 第6節の見出しは詩篇86(87)篇1節のラテン語「その基は聖なる山々にあり」。第8節末尾の Gloria Patri… は栄唱。

 

  • 第12節の見出しは原文 EXIT。文脈から「結末・成就」の意に取り、「結び」と訳した。

 

  • 「ユダの獅子」はキリストを指す聖書由来の呼称。創世記49章9節でヤコブがユダを「獅子の子」と祝福し、これを受けた黙示録5章5節に「ユダ族から出た獅子が勝利を得た」とある。ジュジョールは第3節でも黙示録に言及しており、教会の完成をこの一句になぞらえている。

 

  • 「本誌編集部」は、この文章が掲載された雑誌『ロ・ミサジェー・ダル・サグラット・コー・ダ・ジェズス』の編集部を指す(原文 la Redacció)。当時のカトリック系雑誌では、読者からの献金を編集部が取りまとめて事業に渡す仕組みが一般的だった。第1節が読者への呼びかけで始まり、第13節が寄付の勧めで閉じられるのは、本稿が建築報告であると同時に、同誌読者に向けた募金の訴えでもあるからである。

 

  • barraca(バラカ)は、カタルーニャの葡萄畑に見られる、モルタルを用いない空積みの石造小屋。ジュジョールはこの在来工法を教会の石積みの下敷きとしている。

 

  • 「光の石(pedra de llum)」は、板ガラスの代わりに窓に嵌める半透明の薄板石。サレアル(Sarral、コンカ・ダ・バルベラ)は雪花石膏の産地として知られる。

 

  • 第13節に列挙される事項(ドームの四つの窓、吊りランプ、燭台、四本柱の十二使徒像)は、当初構想にありながら実現しなかった要素である。この節は1974年のスペイン語版では省かれている。

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